『狩人の夜』

Posted at : 2008年 / 11月 / 09日


スターチャンネルClassicでチャールズ・ロートン監督の名作
『狩人の夜』(1955年)。

懐かしいな。わしの学生時代あたりに、「伝説の傑作」として
世界的に再評価が始まったサスペンス映画だ。

舞台は大恐慌時代。オハイオののどかな田園。
主人公はいたいけな兄妹である。

小さな田舎町にも不況の波は押し寄せ、兄妹の父親も強盗殺人に手を
染め、死刑になってしまう。しかし奪った一万ドルという大金は
子供たちに託し、どこかに隠したままだ。

このカネの存在を、刑務所で知った男がいた。ロバート・ミッチャム
演じるニセ牧師である。この男、ケチな自動車ドロで服役していたが、
実は町から町に旅しながら、後家さんを垂らしこんでは殺害し、
金品を奪う連続殺人鬼だった。

不況のご時世、一万ドルは魅力的なカネだ。
出所した牧師は、兄妹たちの家へふらりと現れる。ハンサムな笑顔と
独特のカリスマは、たちまち兄妹の母親(『ビッグ・バッド・ママ』
シェリー・ウィンタースさんだ!)を夢中にさせてしまう。
母親の喉を切り裂き、一万ドルの行方を知る子供たちを狙うニセ牧師。
逃げる兄妹の運命やいかに――――

と粗筋を書くと、どうということのないクライム・サスペンスだが、
この作品の魅力は、そのあまりにも詩的な映像美と、その一方で
描かれる大人たちの狂気の、あまりにも先取りしすぎた現代性だ。

映像はもうオープニングからうっとりするほどエレガント。
空撮で描かれる美しい農村の風景。そこを走り回って遊ぶ子供たち。
追いかけっこをしていた子供たちが、一軒の納屋にやってくる。
その戸口から、女の死体の脚だけがのぞいている。呆然とそれを
見つめる子供たち……。

まるでアニメーション映画のように、あるいはドイツ表現主義を
思わせる極度に様式化された画面構成。


登場人物たちがいたるところで口ずさんでいる歌の効果。

現代を舞台にしたクライム・ストーリーでありながら、まるで
お伽噺のように愛らしい情景描写。

しかし映像が「現実性」から離れていくのに対し、そこに描かれる
狂気は現代人が見ても充分に胸に迫るモダンな解釈だ。

父が目の前で取り押さえられ逮捕されるのを見た少年のトラウマ
(これはクライマックスシーンにつながっている)。
愛欲と宗教的強迫観念の狭間で理性を失っていく母親の醜悪さ。
逮捕されたニセ牧師をリンチにかけようと警察署に押しかける
町民たちの蛮性。

そして悪魔のように優雅に、執念深く子供たちを追い続ける
ロバート・ミッチャムのサイコパスぶり! 常にぶつぶつと
神と対話し、女を殺す計画を神に語りかけるその笑顔。
女たらしでありながら、ストリップ・クラブでの独り言からは、
尋常ならざる女性憎悪もほのめかされている。

あと一歩のところで子供たちをとり逃し、ミッチャムが狂乱の
咆哮を発する場面は映画史上屈指のホラー・シーンといっていい。
「ぅぅぅぅ」という小さな呻きから、やがて糸を引くような
絶叫に変わっていくあの演技。「サイコホラー」というジャンルが
映画産業に確立する十年以上前である。ロートンの演出とミッチャム
の芝居は、二十年早すぎた。

この先進的なサイコ描写と、胸がキュンとするような可憐な映像の
ミスマッチ。これこそが、この映画が公開から三十年以上もたって
ようやく再評価され所以だろう。


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