『マキナ67の全貌』

Posted at : 2006年 / 12月 / 14日


周期的に中判カメラに発情する時期が来るのだが、
ほいほい新しいカメラを買うおあしがあるでなく、
せめて本でも読んでキョーヨーを深めようと
『クラシックカメラ専科No.48』(朝日ソノラマ)を
古本で買った。1500円。お目当てはマキナ特集の記事。

このシリーズ、毎号激マニアックな記事をほとんど
全頁1色刷りで掲載、144頁立て定価2500円とゆー
すんげー高いムックだったなんだけど、儲かってたのかなあ
(現在はさらにページ数減、お値段値上げでご奉仕中)。
記事も初心者ブッチギリの濃い内容でかつ割付も
地味なもんで読みにくい記事が多いんだよなあ。

ちなみにわしはローライ特集(No.34)とマミヤ特集(No.36)
を新品で買ってた。うはwwwどっちも中判。その頃から中判
発情病が発症してた模様。

で、このNo.48はメイン特集がプラクチナ(濃すぎ)で
マキナの記事は全部で36頁しかないんだけど、まあ
マイナーチェンジも含めて四機種しか出なかったから
書きようもなかったんだろうな。それでも誕生から
終焉に至るマキナの短くも数奇な生涯はヒジョーに面白い。

もともと「カメラのドイ」(このお店も新宿からなくなって
しまった…)の社長さんが自分好みのカメラを作りたい、
と企画したってのは有名な話だけど、プロトタイプの
設計はちゃんとドイツのプラウベルがやってた、という
のは知らなかった。

ただ、それがあまりにデカく重く特殊な形状だったので、
コニカの開発担当だった内田康男氏が新たに設計を発注される。
内田さんはレンズまでコニカでやりたかったそうだけど、すでに
レンズはドイの意向でニコンに発注済だったそうな。

ところがわざわざドイツの工場で作らせた蛇腹に不良品が多く、
ドイは対応に追われることに。現在もマキナ67ユーザーを
悩ませる蛇腹の穴あきは誕生当初からの欠点だったわけだ。
このドイの窮状を見たマミヤの社長が声をかけ、マキナ67は
マミヤの工場でマミヤ6等と並んで一貫生産されることになった
(この後、マミヤは突然の倒産劇に見舞われ、マキナもその波に
巻き込まれる。そしてカメラメーカー・コニカも今はない…)。

ここまで見ただけでプラウベル、ニコン、コニカ、マミヤと
四つものカメラメーカーが関わっているわけで、いかにも
元来流通の会社らしいユニークな開発・生産体制だよねい。

ちなみにマキナを見る者誰もが魅了される、あの巨大な
ニッコールレンズのたたずまいは、ドイツ人デザイナーの
意見によるものだそうだ。当時の流行やコスト面から、極力
レンズ周りを小さくデザインしようとしていた内田氏に対し、
プロトタイプ製作から携わっていたミュンヘン工芸大の
ウドー・M・ガイスラー教授は頑としてあの鏡枠デザインを
譲らなかったとか。マキナ67が純然たる国産カメラで
ありながら、今もカルト的な人気を保っているのは、
日本人とは全く違う感性に裏打ちされたドイツ的数学美を
そのルックスに漂わせているせいなのかもね。

ちなみにわしも一瞬だけマキナ67オーナーだったことがある。
まだヤフオクなんかない頃で、カメラ雑誌の「売ります
買います」コーナー
(・・・時代だなあ)で手に入れたのだ。
中古相場よりかなり安かったが、ファインダー周りに不調が
あって、すぐ返品してしまった。今思えば、自分で修理して
持っておけばよかったなあと悔やむことがある。

(今回のエントリは前掲書所収の萩谷剛、内田康男両氏の
記事を参考にしています)

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