演歌の今

Posted at : 2010年 / 12月 / 30日
平成に入ってから、人気がどんどん右肩下がりになって、今年の紅白
でも枠が減らされた演歌の現状に、サブちゃんが「50代以上の皆さんが
求めているのは演歌だと思う。生活の歌である演歌を大事にしてほしい」
と苦言を呈したそうです。


少し前に宇多丸氏が『キラ☆キラ』でオススメしてたので読んでみた本
輪島裕介著『創られた「日本の心」神話』(光文社新書)を思い出しました。

副題は『「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』。
「演歌は長い間歌い継がれた日本の心」という決まり文句に対して
「果たしてそれは事実か?」「演歌が生まれたのはいつ、誰によってか?」
という疑問を鋭く突きつけ、綿密に検証した実に面白い本。

ここでは本の論旨を要約することは控えますが、この本を読むと、
現在の「演歌」の窮状の理由が明確にわかります。



本来演歌は、(日本のポピュラー音楽の多くがそうであるように)
さまざまな流行のジャンル音楽を貪欲に吸収し、ごった煮の中から
生まれてきた大衆音楽でありました。演歌の「スタイル」が一応の
完成を見た70年代を経てなお、演歌は80年代にいたってさらに、
フォークやニューミュージックの一流ソングライターによる作品を
受け入れてダイナミックな「進化」の兆しを見せていました。

しかしこの潮流は90年代に至る前に途絶え、演歌は再び70年代以前の
定型的コードを再生産するだけの音楽へと退化しました。演歌は
自ら市場を閉じ、老人とカラオケマニアの主婦のためだけの音楽で
あることを選択したのです。現在の衰退は当然の帰結でありました。

演歌がかろうじて新しい動きを見せたのは、1997年に(自身の映画の
タイアップとはいえ)つんく♂が演歌を書いた時と、2000年の氷川
きよしのデビューくらいでしょう。

もっとも氷川きよしは、下積みの苦節をもってよしとする演歌の
サクセスフォーマット(そんな伝統はそもそもいくらも歴史はない
のですが)に頓着することなく、清新なルックスの青年が、「演歌」
という言葉自体が定着する以前の「股旅もの」「海軍小唄」という
いわば「原演歌」を歌う企画のインパクトの勝利であり、音楽性に
限ればそれは演歌の進化ではなく、一種の先祖返りと言えます。

インパクトといえば、2003年にクラウンから「ゴスロリ演歌」という
強烈なコンセプトで売り出された神園さやかも想起されます。

アイドル性の高い神園のキャラクターは、若い世代を演歌に向かせる
起爆剤となる可能性を感じさせましたが、ゴスロリというフックのある
ビジュアルを選びながら、客層を高齢層に絞ったマーケティングの
ちぐはぐさが致命的でした。楽曲はこれまた「原演歌」的な青春歌謡
のリバイバルであり、クラウンの戦略は「新しき袋に古き酒」とでも
言うべきものでした。

つんくが映画「演歌の花道」のために書いた「虹色橋」は、若く
才能あるミュージシャンによる、まごうかたなき新世代演歌を
予感させる名曲でした。90年代以降、本道演歌が失っていた
新鮮でキャッチーなメロディは、高山厳、富永美樹らによる競作
シングル発売という実に黄金時代的展開も見せました。

その後つんくはモーニング娘。の中澤裕子で演歌路線の売り出しを
模索しましたが、成功には結びつかず以降演歌に接近することは
ありませんでした。それが昨年の夏、つんくは再び本格的に演歌
プロデュースに乗り出しました。女子高生演歌カレンのデビューです。

デビューシングル「泣くなオカメちゃん」は紅屋おかめ78年のカルト
歌謡のカバーという企画色の濃いものですが、カップリングの
「未練坂」は、つんくらしい独創的なサビメロが印象的な21世紀型
演歌であります。守旧に汲々とするのではなく、こういう新世代を
業界全体でもり立てていくような動きが出てくれば、演歌にもまた
ポピュラーとしての将来があるとも愚考するのですが・・・



※なおジェロについてはその功績が定まるまで評価を保留したいと思います。

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